売りました体験談
思い入れのある大切な家でした

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夫婦で手をかけた味のある家、良さを共有できる方に巡り合えました
2016年にこのお家を購入し、夫婦2人でフローリングを張り替え漆喰を塗りリフォームしたり庭を作ったりしました。思い出が詰まった家でしたが、また新たなところに引っ越しするために売却しようと考えました。コンパクトなお家で電化住宅のため即入居できる状況で、かっちりした家よりも隙間があったり少し歪んでいてもそれが味になる、そういった感覚が好きな人ならすぐに気に入ってくれる物件でした。ただ築年数はかなりあり水回りが老朽化しているのと、トイレが汲み取りと言うところが購入者様が気に入ってくれるかどうか不安でした。 普通の物件を探している方には、私たちの家はあまり魅力的ではないだろうと思い、どんな不動産屋さ

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成人まで育った実家、内見で丁寧に欠点を説明しました、買い手様と信頼関係構築の収穫がありました
親が他界して空き家になった実家に15年ほど3~4日/月のペースで通い、家屋の管理と敷地に隣接する原野を利用した家庭菜園を楽しんでいました。しかし子供たちが将来的に引き継ぐ可能性がないこと、また自宅から車で1時間と頻繁に通うには遠過ぎることや高齢になって作業も負担になってきたため売却を決めました。そこで数年前に地元の不動産業者に相談したところ売却できる可能性は低いと言われ諦めかけていたのですが、「家いちば」のサイトを見つけ、もしかして興味を抱いてくれる買主さんがこのシステムを利用して現れるのではと思い掲示板にアップしました。 掲示板の閲覧者数が1か月で2万件近くに達し、ネットの力の凄さと潜在需

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大いに利用してきた海を望む山の土地、希望者の動機を聞きながら入札方式で成約に至りました
双子の男の子の孫が生まれた時に自然に親しむ人間になってくれるようにと海を望む山の中腹に土地を買い、キャンプ場として大いに利用してきました。10数年経って千葉から那須に移住することになり、物件のある神奈川まで通いきれなくなって売却を決断しました。 キャンプブームということもあってか、15名以上の方から問い合わせがあり、対応できる人数に絞って内覧会を開きました。オークション方式では切がなくなりそうでしたので、入札方式にさせていただき無事成約に至りました。 思った以上の方々に興味を持ってもらい、また購入希望の動機についても知ることが出来たので、買主候補者を絞り込む時に参考になりました。ネットでの

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病気でやむなく売ることに、現地でお会いして面接を行い人物を見て決めました
アトリエ梵という会社を経営しておりましたが、突然の大病を患い、やむなく会社を閉鎖しました。その後売却先を探していましたが、貴社のサイトを発見し、即座に申し込み、今回の成約に至りました。会社閉鎖から6年を要してしましました。第二に人生を「ものづくり」にかけて投資した設備でした。したがって売却先の選定条件として、当該設備を大切に使ってくださる方、モノづくりを愛している方(好きな方)を判断基準にしました。ですので、売却に当たっては問い合わせのあったすべての方に現地でお会いし、当方として「面接」を行いました。その結果「人物」を第一に考え、次に「価格」で売却先を決めました。売却に関しては、まずまずの感想

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福島の震災後、避難指示は解除されましたが戻る気になれず、空き家にしていた家が売れました
東日本大震災直後の原発事故で近隣市町村の住民に国から避難指示が発せられ、浪江町の自宅はそのまま放置して着の身着のままで家族で大阪市に避難しました。仕事がら自分が生きている間には、震災前の状態に戻ることは無いと確信し、避難先に居を構えて定住しました。そしてあの日(平成23年3月11日)から6年も経過した平成29年3月31日午前0時に帰還困難区域を除き避難指示は解除されました。※震災前の放射線管理基準の約4倍に引上て。解除日から既に2年が経過しましたが、住民の帰還率は低迷していると聞いています。ただ、そこに我が家が有る以上、管理責任や固定資産税からは逃れられません。精神にハンディを持った妻子に、そ

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インターネット上の不動産屋なだけあり、国内・海外からたくさんの問合せがありました
海外から種子島に移住を考えていた際、町長から「そこらへん歩いている人に空家あるか聞くといいよ。」と言われるほど不動産と管理物件が少なかった記憶があり、利用閲覧者が多く実際に評価の高い家いちばさんを利用させていただきました。 インターネット上の不動産屋なだけあり、近くの九州本土のみならず関東、ロンドン、カナダ、沖縄、北海道と非常に広範囲の方々に興味を持っていただけて、沢山の方がメッセージをくださいました。まずここの地域に馴染めそうだなと思った5人を選び内覧を開始したら全員購入希望でとても驚きました。最終的には心苦しいのですが入札方式にさせていただきました。 売りたくないほど大好きな家でしたが

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大好きだった祖母の家、こんなに早く取り引きが出来ると思っていませんでした
3年前まで祖母が住んでいましたが、他界後空き家状態となり、月に1度草刈りや部屋の掃除を行っていましたが下関市内に持ち家もあり、仕事の関係上、移住は考えていませんでしたので、どうしようか家族で考えている時に家いちばの存在を知りました。ネットでの不動産に多少は違和感もありましたが、もしかしたらと言う気持ちもあり、半信半疑で登録をしてみました。 私達も好きなお家でしたし、誰か気に入ってくれる方が居ないかと思っていましたが予想以上の反響もあり、商談を持ちかけてくれる方がたくさんいらっしゃり本当にびっくりしました。 こんな早く取り引きが出来るなんて、正直な所1ミリも思っていませんでした。家いちばの担当

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田舎の店舗兼住宅が地元ではなかなか売れずにいました
父が田舎で家具店を経営しており、私の幼少期はこの店舗兼住宅で生活していました。その父は9年前に他界し、母は父が生前に建てたすぐ近くの住宅で一人暮らし、私は県内で別に所帯を持っているので、この店舗兼住宅の処分に困っていました。父がいなくなってからの3年ほどで親戚の方々にも手伝っていただいて店の商品や当時の生活用品を処分し、地元の不動産業者に賃貸もしくは売却を相談していましたがなかなか商談成立とならず、ここで思い切って価格を大幅に下げて広くいろんな方に告知したいと「家いちば」を利用することにしました。 それまでは年に数回、問い合わせと内見があるかないかぐらいの頻度でなかなか成約に至りませんでした

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父が愛着のあったレストランの建物を解体せず移築で引き取ってくださった買主様に、感謝の気持ちでいっぱいです
私が生まれる前に父が建てて経営を始めていたカナディアンシーダーハウスのレストラン。閉店してから15年以上が経ちました。父が自費で取り壊そうとしていたのですが、建物への愛着があったのを知っていたのでなんとかしてあげたかったです。このまま潰してしまうにはもったいなさすぎる…。どなたか買い取って下さる方がいれば、、、との思いから、今回私がインターネットに不慣れな父の代わりとなり、移築または解体による古材の売却として家いちばに投稿しました。 とても満足しています。買主様が私どもの気持ちを十分に汲んで下さり、移築後にもご招待頂けるということで、今後のご縁を強く感じると共に嬉しい気持ちでいっぱいです。こ

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お互い本音で意見交換ができ、物件もリフォームで再利用していただけありがたさでいっぱいです
両親が他界後空き家となり、横浜に嫁いだ姉が幼い頃過ごした野山に惹かれ、いずれはUターンをと希望し、毎月のように帰省し家の管理をしていましたが、人生の事情は自分の思うとおりにいかないもので、手放すには心残りなのか家の処分を待って欲しいと言うことで3年間猶予していました。3年が過ぎた頃に私自身でホームページを作成して土地家屋の売却を進めていました。それと並行するように「家いちば」のサイトにも掲載をお願いし1年が過ぎようとしていた頃「家いちば」のサイトを見た希望者の方と巡り合うことが出来ました。その方は偶然にも物件のある同じ市内にお住まいのご家族でした。物件は家屋が古く価値も計算できないほどの物でし